大正初期の野球
大正期に入ると、生徒の間で野球熱が盛り上がり、学校内でもクラス対抗戦が行われるようになる。
対抗戦は春と秋に2回行われ、各クラスとも応援団を組織し華やかだったと大正期の記録にある。
その対抗試合で上手な選手を選抜して、学校の代表選手を選抜し八戸中学などとの試合に臨んだ。
現在のように毎日練習したのではなく、試合が決まってから2週間ほど合同で練習して試合に挑むことがほとんどであったようだ。このような方式は大正10年頃まで続いた。
野球熱の高まりとともに野球部の活躍も目立つようになる。
大正6年(1917)には一高の内村投手と中松捕手を招き指導を受けた。
福中の村田幸雄と佐藤貞太郎のバッテリーにつきっきりで激しい指導を行い、「他校との試合でも絶対負けない」という強い自信を植え付ける。
選手もこの指導に応え、盛岡高等農林、岩手師範、八戸中学を撃破した。
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